ファイナルファンタジーY
バニシュです。(死闘)

1994年にスクエアが発売した、スーパーファミコン最後のFFである。
最後を飾るに相応しく、あらゆる面でスーファミの性能を最大限に使った名作だ。
おそらく、ファイナルファンタジーの中で誰もが名作と認める作品はこれであろう。
そう、このゲームにはRPG好きを問答無用で引き込む魅力が詰まっているのだ。

この当時、まさにスクエアは絶頂期で輝いていた。
出すソフト出すソフトみんな面白く、スクエアが新作を出すと聞いただけで興奮したものだ。
そんなスクエアが皆の期待を一身に背負って鳴り物入りで発売したソフト、それがファイナルファンタジー6だ。

今のゲームユーザーならどう思うかはしらないが、当時その衝撃は凄まじいものがあった。
ゲームを起動して始めのオープニング。
一体なんだ?この美麗なグラフィックは!?!?
当時のスーファミの常識を完全に覆す圧巻の映像。
それまでにないドラマチックなオープニング・・・・

否応にその先を期待させるその表現は、まさにゲーム的映画表現の最高峰といっても過言ではないでしょう。
いまだかつてこのオープニングを越える導入は見たことありません。

その後、ゲーム的からどんどん映画的というあらぬ方向に突っ走っていくことを考えると、
まさにこのときは全てがうまい具合に重なった奇跡といえるかもしれません。

さてさて内容ですが、今更語るまでも鳴く素晴らしいとしか言いようがありません。
壮大で重厚なストーリー。
しかもそれがただストーリーとして面白いだけでなく、ゲームシステムと絡めた上で見事にストーリーとして完成しているところが見事です。
中でも一番大きな要素は、今回導入された「パーティーチェンジ」というシステムです。
ある目的に向かって同時期に別の場所で活躍する仲間たち。
そして再び集う仲間。
それをゲームシステムを利用することによってしっかりと描いていくことによって、よりいっそうの説得力を生み出すことに成功しました。
そういうふとすればダルくもなりかねない表現を成功させたことには、魅力ある主人公「達」の存在が大きく関与しています。
そう、このゲームには主人公が「いそうでいない」んです。

主人公がティナだと言う人がいれば、ある人はロックだといいます。
またある人はセリスだといいます。
それはただ単にまとまりが無いわけじゃありません。
「誰が主人公でもおかしくない」んです。
それほどまでにキャラクターは作りこまれ、物語は煮詰められています。

このゲームは基本的に2Dドット絵の二〜三頭身のキャラが動く昔ながらのRPGですので、
3Dものやアドベンチャーミックスなものに比べてそこまでセリフが多いわけではありません。
しかしそんなものよりかも遥かに魅力を持ち、また深みのあるキャラクターを演出するところは、
当時のスクエアがどれだけすごかったかということを思い知らされる一幕でしょう。

また、植松伸夫による音楽は素晴らしく、サントラを封切るとその名曲の多さに驚かされます。
3枚組みのCDでかなりの曲数があるのに、いわゆる「捨て曲」が全然見当たりません。
普通はこれだけ曲があるとその大半をどうでもいいような曲が占めるはずなのですが、この作品に限っては例外中の例外になります。
そしてそれらの曲が、スクエアの技術の粋を集めた内蔵音源によって鳴らされます。
このFF6の出音は、それがスーファミであることが信じられないほど完成されています。
どれほどの完成度かというと、その後に出た、しかもPSなはずのFF7が足元にも及ばず裸足で逃げ出すほどです(爆)

そういった様々な要素が合わさって出来た至高の作品。
黄金期の遺産。
それこそがファイナルファンタジーYなのです。

一応補足として、ファイナルファンタジーYの別の側面も紹介しておきます。

FF6が持つもう一つの顔、それはFC〜SFCまでの「前期」ファイナルファンタジーと
PS以降の「後期」ファイナルファンタジーの橋渡し的存在としての顔です。

まずなんといっても大きいのは「機械」の登場です。
(それまでにも飛空艇やら巨人やらありましたが、物語の中、常に傍にあるものではありませんでした。)

それが今回、最初にティナは魔導アーマーに乗って登場し、仲間の一人エドガーはそのものずばり「機械」というコマンドを使って敵と戦います。
つまり、「剣と魔法の世界」からの脱却です。
次の7では世界が機械文明が発達している時代で、敵も味方も平気で銃をぶっ放すようになります。
6ではまだそこまでメインじゃありませんでしたが、銃に剣で切りかかっていく違和感もあり7では結構な数のユーザーが離れて行ったようです。
(かくいう私も、7をプレイしたのは9が出る少し前くらいでした。)

もう一つは「システム過多による戦闘バランスの崩壊」です。

知っての通りこのゲームは魔石のことさえ分かっていれば、普通にプレイしているだけでダメージがカンストします。
またそれを助長するようなアイテムや修行場が鬼のようにあります。
初めてのプレイで、ラスボスの最終形態を出てきた瞬間倒してしまった人も多いんじゃないでしょうか?

これはその後のシリーズにも受け継がれていってしまいます。

つまりは・・・

普通にプレイするだけでダメージはカンスト。
それ故ラスボスは雑魚。
カンストするのが当然なうえで、尚且つやたらと強い裏ボスがいる。
という本末転倒的な展開です。

強い敵がいるのは構わないのですが、主軸を締める本編に緊張感がないんじゃ楽しさは半減・・・・
・・・どころか全くやる気さえ起きなくなってきますよ・・・少なくとも私には。

しかしながら、やり込んで強敵を倒すことに生きがいを感じるようなタイプの人たちにはそれがいいというような人もいるようです。

そういういい意味でも悪い意味でも転機になった作品。
それがファイナルファンタジーYのもう一つの顔です。